むかしむかし、館林に茂林寺というお寺がありました。
このお寺を開いた正通和尚というお坊さんが全国行脚の旅に出ていたある日のことです。
旅の途中で休んでいた和尚の前に、若いお坊さんが現れて、
「私は守鶴という旅の者です。どうか、和尚のお供をさせていただけませんか。」
といいました。
正通和尚は守鶴に荷物を持たせて、館林へと帰って行きました。
その後、守鶴はお寺に住むことになりました。
守鶴は真面目によく働き、正通和尚が死んだ後も次の和尚に仕えました。
幾年もの月日が経ちましたが守鶴和尚は年をとりません。
怪しんだ和尚もいましたが、それを尋ねることはしませんでした。
ある年のことです。
お寺で千人法会というとても大きな集まりが行われることになりました。
千人ものお坊さんにお茶を振舞うためにはたくさんの湯を沸かす茶釜が必要です。
すると、守鶴和尚がどこからか一つの大きな茶釜を持ってきました。
不思議なことに、その茶釜はお湯を汲んでも汲んでも尽きることがありません。
守鶴和尚はこの茶釜で、千人あまりの飲み湯を間に合わせました。
守鶴和尚はこの不思議な茶釜のお湯で喉を潤すとさまざまな徳を得られるといい、福を分け与える「分福茶釜」と呼んだのです。
さらに守鶴和尚がお寺に来てから百幾年が過ぎたある日のことでした。
守鶴和尚がお昼寝しているお堂をお寺のお坊さんが覗いてみると……なんと狸の尾が見えるではありませんか!
驚いたお坊さんがお寺の和尚に伝えると、和尚はそのことを他言しないようにと戒めたのでした。
そうこうしているうちに守鶴和尚がお昼寝から起きて、和尚の前へやってきました。
正体がばれてしまったことをさとった守鶴和尚は、
「どうか長い暇を出してください。」
と和尚に言います。
和尚は、守鶴和尚がそういった理由を知らないふりをして、
「お前も長いあいだ茶番をしてくれて、疲れていたから昼寝をしていたんだろう。
決して暇を取るような悪いことはないのだから、これからもここにいてくれ。」
といいました。
しかし、守鶴和尚は自分のことを話し始めました。
「私は数千年を生きる古狸であります。お釈迦様がお説法をなさった時にはそこにおり、それから唐へ渡り、また日本へ戻ってきておよそ八百年となります。
お寺を開かれた和尚の徳に感じついてまいりましたが、その徳の高いことは言葉では言い表せないほどです。」
さらに守鶴和尚は「置き土産に皆様には私の見てきた屋島の戦いをお目にかけ、お釈迦様のお説法を聞かせましょう。」
と続けます。そして何か口上を唱えました。
すると不思議なことにお寺の庭から向こう側が広い海となっていきます。
さらに海の沖の方には平家の赤旗が、こちら側には源氏の白旗が現れたではありませんか。
平家方の小舟には日の丸の扇が掲げられ、源氏方の那須与一が扇へ向かって弓を引きました。
矢がその扇を射落とすと、平氏方からも源氏方からも歓声が上がり、一同が那須与一を褒めると、これらの光景はすっかりと消えて元のお庭に戻ったのでした。
また、そのうちに空から笙や篳篥の美しい音色が聞こえ始めます。
すると今度は後光を射したお釈迦様が紫の雲より降り、声たかだかとお説法を始めたではありませんか!
居合わせたお坊さんたちがありがたや、と泣き伏しているうちに、やがてそのお姿は夢のように消えてしまいました。
それから、和尚が守鶴和尚に尋ねます。しかし、守鶴和尚の姿はどこにもありませんでした。
こうして、守鶴和尚は茂林寺から去って行きました。
守鶴和尚が持ってきた分福茶釜はお寺に残され、今でも大切にされているのです。