京急空港線の終点・羽田空港国内線ターミナル駅(東京都大田区)が開業から20年を迎えました。京急電鉄は2018年11月18日(日)、羽田空港第1旅客ターミナル2階フェスティバルコートで開業20周年の記念式典を開催。京急の原田一之社長と京急のテレビCMに出演しているお笑いコンビ「くりぃむしちゅー」のトークショーなどが行われました。
未来ライバル「羽田空港アクセス線」
京急空港線は京急蒲田~羽田空港国内線ターミナル間6.5kmを結ぶ鉄道路線です。1902(明治35)年、穴守稲荷神社の参拝客などを運ぶ路線として開業。戦後は羽田空港アクセス輸送に参入することを目指し、1963(昭和38)年には路線名を現在の空港線に改称しました。ただ、当時の京急は東京都心と横浜方面を結ぶ本線の輸送力強化に力を入れていたこともあり、空港ターミナルへの乗り入れは実現しませんでした。
1980年代に羽田空港の拡張計画が具体化すると、空港ターミナルへの乗り入れ計画が再始動。1993(平成5)年に羽田駅(現在の天空橋駅)まで延伸開業し、1998(平成10)11月18日には羽田空港駅(現在の羽田空港国内線ターミナル駅)が開業しました。
羽田空港ターミナルへの乗り入れが実現してから20年がたち、京急は何が変わったのでしょうか。最も大きな変化は利用者の数です。
京急や運輸省(現在の国土交通省)の公表資料などによると、現在の天空橋駅まで開業していたころは、1日に約2万人が京急空港線から東京モノレールに乗り換えて羽田空港のターミナルに向かっていました。羽田空港国内線ターミナル駅は開業から数か月間の利用者数が1日平均で1.8倍の約3万6000人に。2017年度には1日で約9万人となり、20年間で2.6倍になりました。
「空港中心」のネットワークも構築
京急線全体の年間輸送人員でみても、1998(平成10)年度が4億652万人だったのに対し、2015年度は約5300万人多い4億5968万人に膨れあがっています。全体での利用者の増減はほかの要因も絡むため一概にはいえませんが、空港線の空港ターミナル乗り入れで利用者が大幅に増えたのも利用者増加の一因といえるでしょう。
当時の京急は、空港線の利用者の増加について「都心からの顧客に加えて、従来、浜松町経由でモノレールに流れていた横浜方面の顧客も取りこんだため」としていました(1999年4月7日付日刊工業新聞)。このため京急は1999(平成11)年7月、横浜方面から空港に直通する列車も運転するようになり、空港を中心に東京都心から関東南部へのネットワークを構築したのです。
一方、1964(昭和39)年から空港アクセス輸送を担っていた東京モノレールとの競争も激しくなりました。東京モノレールの年間輸送人員は1997(平成9)年度が6520万人でしたが、京急空港線の空港ターミナル乗り入れで減少。2002(平成14)年度には5000万人を割り込み、2015年度は4514万人にまで減っています。
そのため東京モノレールはJR東日本との連携を深め、2002(平成14)年にはJR東日本の傘下に入りました。JR線のフリーきっぷで東京モノレールも利用できるようにしたり、京浜東北線の快速停車駅に東京モノレールの連絡駅である浜松町駅を追加したりするなどして、利便性を高めたのです。
このほか、最近は羽田空港「再国際化」に伴い、関東の各地から羽田空港に直通するリムジンバスが増え、競争がさらに激化しています。逆にいえば競争が激化したことで羽田アクセスの利便性が向上したともいえます。その原動力のひとつとして羽田の「再国際化」が挙げられるかもしれません。
近年は訪日外国人観光客が増加し、「再国際化」された羽田空港の利用者も増えています。そのため、羽田空港へのアクセス輸送もパンクしてしまうのではないかと懸念されるようになりました。
こうしたこともあって、2013(平成25)年にはJR東日本の羽田空港アクセス線構想が浮上。2015年に交通政策審議会が答申した東京圏の都市鉄道の基本計画でも、羽田空港アクセス線の整備が盛り込まれました。早ければ2028年にも実現するといわれています。
この路線が完成すれば、京急線にも大きな影響があるでしょう。しかし、京急空港線は輸送力が限界に近づきつつあります。たとえばJRに対抗するために列車を増やそうと思っても、そう簡単には増やせません。
京急の原田社長はトークショーで「羽田空港国内線ターミナル駅から線路を約200m東に伸ばし、引き上げ線を整備したいと思います」と話しました。引き上げ線を建設すると折り返し運転の準備を引き上げ線で行うことが可能。すぐにホームを空けて次の列車が入れるようになり、列車を増発しやすくなります。
トークショー終了後の記者会見では「建設は可能ですが、ターミナルビルや滑走路の下に地下トンネルを建設するため、大勢の関係者と調整しなくてはなりません」と述べ、実現には時間がかかる見込みを示しました。その一方で原田社長は「できるだけ早く整備したいと考えています」とも話し、引き上げ線の整備に強い意欲を示しました。今後の動きが注目されます。